はじめまして!!!
昨年の秋からミュジコロールでソルフェージュ クラスを担当させていただいております岩田珠美です。
これまでもこのような音楽教室だけでなく、大学や高校などで音楽を専門とする多くの生徒さんとも携わってまいりました。また楽器のお稽古をする親御さんだけでなく、音楽家として既に活動をされている方々からも “読譜(いわゆる譜読み)”や、“音感”についての学習やカリキュラムについて多くの相談を受けてまいりました。
ソルフェージュに触れていない方でも、楽器のレッスンで先生から「本当はちゃんとソルフェージュ やった方がいいんだけどな・・」と言われた経験はありませんか?
本来、楽器のレッスンは演奏技術や音楽的内容の演出を指導してもらう機会なので、譜読みや音間違い直しに時間を奪われてしまうのは残念ですね。
楽譜を読んだり、曲を演奏することを、語学学習と置き換えて考えてみてください。 アメリカ人に「どうやったらスラスラ英語話せるようになるの?」と質問するのは愚問だということは誰もがわかるでしょう。なぜなら彼らは“ネイティブ”=“英語を聞いて育ってきて、“英語で”勉強したり考えたりしてきている“ のです。 ただ、例え英語圏に生まれ育っていなくても、家庭等で英語を話す機会が多ければ、ある程度は話したり、自分の思いを伝えることはできるでしょう。 何よりその一歩先にある最も大切なことは、表面上の言語力だけではなく、そのバックグラウンドにある文化や宗教、あるいは民族の歴史や風習とともに言語を体得し、用いることができるかということなのです。
では、非ネイティブの私たちはどうやったら音楽をより身近に、より深く、自分から発信できる表現として会得できるのでしょうか。
それは異言語の習得と同様です。レッスンに通ったり、学校で授業を受けたりするように、たくさんの音楽に触れ、(目的を持って)聴いたり、音楽の話法をシステマティックに習得し、アウトプットしていく機会を増やしていく他ないのです。そもそもこうして西洋音楽が世界中に広まり、日本でも当たり前のように遥か遠くの文化である西洋音楽を学ぶことが可能なのは、先人が音楽を採譜、記譜し、また音楽の成り立つシステムをある程度“様式”として確立することができた功績なのです。
ソルフェージュの学びのベースは、楽譜という書物を「読み、聴き、表現する」 ためのトレーニングをし、作曲家が残した作品を再現し理解する力を磨くことを目的とします。 よりアカデミックな領域に入る場合は、時として言語でいう文法に該当する、音楽の“書法” 及び“楽典” を、また文学作品を読む時と同様に、過去の時代を遡るために必要な“西洋の歴史”にも触れていきます。
そういった多角的な学習をすることにより、作品の真髄を自ら読み解くことができるようになった上で、より楽器演奏に磨きをかけていくことができれば理想です。 できる限り早いうちから、読譜力と感度の高い聴覚をブラッシュアップすることで、音符で綴られた偉大なる遺産を自由に読解・聴解できるようになれば、より一層スムーズに、奥深く、そして多くの曲を完成していくことができるはずです。
決して進路として音楽の道に進まないとしても、楽譜を手に“自学”できるようになれば、そのスキルは生涯を通しての財産となるでしょう。
急速なグローバル化の波とともにここ日本でも多様性が謳われるようになった昨今、今を生きる私たちはどのような学びを通して未来に向かうのでしょうか。
音楽を学ぶ意義は、高い技術をつけて難曲を舞台で披露することだけにはとどまりません。
音楽という世界共通ツールが自由に操ることができれば、異なる環境にある他者と繋がること、遠い国の文化や歴史に思いを馳せることも可能となるでしょう。また、時空を超えて普遍的な人間的感情に共感したり、先人が生きてきた証を音楽というフィルターを通して垣間見ることができることも、音楽が私たちの好奇心を常に掻き立て、魅了してやまない一つの理由なのではないでしょうか。音楽の持つ機微は言語化できないからこそ、私たちの想像力を刺激し、無限の広がりをもつものなのです。 ソルフェージュ学習を通して得た理解力は、その境地へ一歩も二歩も近づけてくれることは言うまでもないでしょう。